加藤晴子の現在と夫との暮らし。”あみん”再結成の裏にあった母としての覚悟

あみん

「待つわ」で一世を風靡した伝説のデュオ”あみん”。その片翼を担った加藤晴子さんは、華やかな音楽シーンから一歩引き、家庭と子育てを大切にする人生を歩んできました。「芸能界は自分に向いていない」と語り、早々に引退した加藤晴子さんですが、その後の人生には意外な選択や、家族への深い思いが込められています。

現在の暮らし、結婚した夫との関係、そして母としての決断。あみん再結成の裏にあった”もうひとつの物語”を、たっぷりとご紹介します。

ぜひ、最後まで読み進めてくださいね!

加藤晴子・あみん結成と120万枚ヒットの裏側

あみん結成の背景

椙山女学園大学に入学した加藤晴子さんは、同じ大学に入学した岡村孝子さんとは履修届の書き方を聞かれたことがきっかけで急接近。加藤晴子さんが岡村孝子さんの自作曲に共鳴し、ふたりでユニット「あみん」を組むことになりました。

大学構内のちょっとした質問から生まれた奇跡のデュオ。そう思うと、運命というのは本当に些細な瞬間に宿っているのかもしれませんね。加藤晴子さんが岡村孝子さんの自作曲に心を動かされ、「一緒に歌いたい」と思ったこと。それは、学生の身でありながらも音楽の可能性を感じた加藤晴子さんらしい感受性の豊かさが感じられます。

「待つわ」のグランプリ出場とヒット

1981年、ポプコンに自作曲『琥珀色の想い出』で挑むも予選敗退。翌年『待つわ』で再挑戦し、ついにグランプリを獲得。優勝から2ヶ月後にはレコードデビューし、最終的に120万枚を突破する大ヒットを記録しました。

『琥珀色の想い出』での敗退を乗り越え、『待つわ』でグランプリをつかんだエピソードは、まさに「夢は努力と縁が導くもの」であることを教えてくれます。120万枚という数字の背景には、奇跡に見えて実は綿密な準備と、2人の強い信頼関係があったはずです。

 

デビュー後の爆発的なヒットは、運ではなく必然だったのかもしれませんね。

加藤晴子・あみんは約1年半で活動休止。その決断の経緯とは

『待つわ』でミリオンセラーを獲得しながらも「あみん」は約1年半で活動を休止します。その経緯とはいったい何だったのでしょう。

両立の難しさと大学からの圧力

当時まだ大学生だった加藤晴子さんと岡村孝子さん。彼女たちは「学生」と「プロのアーティスト」という二重生活を全力でこなしていました。授業を受けてすぐさま新幹線で東京へ向かい、音楽番組や取材をこなして深夜に帰宅。翌朝には再び大学でテストを受けるという、想像を絶するスケジュールです。

華やかなデビューの裏で、2人がどれほど過酷な日々を過ごしていたかと思うと、120万枚のヒットはただの「ラッキー」では済まされません。むしろ努力の上に築かれた結果だったと実感します。

しかし、周囲の理解が追いつかないのもまた現実でした。「芸能人は学校に来なくていい」という大学側の対応は、当時の芸能界に対する社会的な偏見や制度の未整備さを象徴しているようにも感じます。きっと加藤晴子さんの中で音楽への情熱と”ちゃんとした学生でいたい”という真っ直ぐな気持ちが揺れていたのでしょう。

その繊細さこそが、加藤晴子さんの魅力であり、人としての真面目さでもありますね。

加藤晴子さん自身の迷い

「才能のなさを痛感した」と語る加藤晴子さんの胸中には、「自分は歌う場所にいるべきじゃないかもしれない」「学生生活をきちんと終えたい」という強い思いがあったようです。

加藤晴子さんのその言葉には、夢を追いながらも現実をしっかりと見つめる芯の強さが伝わってきます。加藤晴子さんにとって音楽は「人生のすべて」ではなく「人生の一部」だったのでしょう。

そのバランス感覚は、加藤晴子さんを等身大の存在として、多くの人に親近感を持たせる理由なのかもしれません。

加藤晴子・大学卒業後テレビ東京へ。確かなキャリアの一歩

あみんとして一度はスポットライトを浴びた加藤晴子さん。でも、大学を卒業した後はキラキラした芸能界からちょっと距離を置いて、テレビ東京でお仕事をすることに。しかも報道と編成といった、ガチの裏方のお仕事です。

当時は就職氷河期と言われるほどの厳しい時代。そんな中で、きちんと社会に出て、自分の力で働いていく道を選んだ彼女の姿勢は本当に真っ直ぐで誠実です。

たぶん、普通のOLとして暮らす日々の中で、彼女なりに「芸能界とは違う、自分らしい生き方」を見つけていたんじゃないかなぁと思います。表舞台からいったん離れて、自分のペースで人生を歩いていく。その選択が、加藤晴子さんをより魅力的にしている気がします。

加藤晴子・夫と娘との穏やかな日常

加藤晴子さんはテレビ東京で8年間勤め、結婚を機に退職。夫は一般男性で詳細は非公開ですが、家族のプライバシーを守るために情報を非公開にしている様子が伺えます。間には娘さんが一人いますが、現在ではすでに成人しているでしょう。

加藤晴子さんは娘さんが幼かった頃、音楽活動していた事実をあえて伏せていました。自分が昔歌手だったということが知れたら、子供にとって良くも悪くも影響を与えてしまうと思ってのことでしょう。

子育てでの配慮や葛藤を丁寧に乗り越えてきたことが感じられますね。

自分が「あみん」として活動してきたことは、長年内緒にしてきた加藤晴子さんですが、娘さんが通う学校の校長先生の「子育てに必要なのは、自分の生き様を見せること」という言葉がきっかけで2007年の再結成の後押しになったそうです。

加藤晴子・2007年”あみん”としての再起動

2002年、岡村孝子さんのソロシングル『天晴な青空』で加藤晴子さんがコーラスで参加します。そして同じ年に行われた岡村孝子さんのコンサートツアー最終日のアンコールで、加藤晴子さんが登場し、1夜限りのあみんが復活。

加藤晴子さんが普通の主婦として生活している間も、岡村孝子さんとは連絡を取り合い、変わらぬ友達関係でいたとのことなので、今回は岡村孝子さんが加藤晴子さんにオファーを送ったようですね。

このことが大きな反響を呼び、2007年にあみんとしての活動を再開する運びとなりました。

あの日、コンサートに行ったファンはとても貴重な場面に出会えたようですね。羨ましいです!

加藤晴子・現在の活動はマイペース

2007年に「あみん」としての活動が始まってからは、音楽番組やテレビ出演などもあり、その年には『NHK紅白歌合戦』にも2回目の出場を果たしました。

その後も「あみん」として活動し、2019年に岡村孝子さんが白血病の闘病に入るまでは、『宝くじまちの音楽会』で地方を中心に出演していました。

岡村孝子さんのInstagramには、その当時の投稿にたくさんの応援のコメントが寄せられています。みんなが「あみん」の復活を喜んでいるようですね。

その後の加藤晴子さんの情報は見つかりませんが、マイペースに音楽活動を行っているようです。

加藤晴子さんの現在は、華やかではないかも知れません。でも、自分や家族のペースに寄り添いながら音楽を続けるという選択は、とてもリアルでかっこいいなと思います。無理せず、焦らず、それでも歌い続けるその姿が、今の時代にこそ響くメッセージになるんじゃないかな。そんなふうに感じています。

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