元キャンディーズの”スーちゃん”こと田中好子さん。アイドルとして、そして解散後は女優として多くの人に愛されていました。
2011年に田中好子さんの訃報がメディアに流れた時は、突然のことで驚きを隠せなかったような記憶があります。いつも笑顔で元気だった田中好子さんが長年の闘病生活を送っていたなんて、信じられませんでした。
そして闘病生活の間でもさらに信じられない旦那・小達一雄さんの「隠し子」報道。これには驚かされた方も多いはず。
この記事では、田中好子さんと旦那・小達一雄さんとの出会いから結婚生活、そして噂の真相までを丁寧にお伝えします。どうぞ最後までお付き合いくださいね!
田中好子プロフィール・キャンディーズから女優へ
- 本名 小達好子(旧姓:田中)
- 生年月日 1956年4月8日
- 出身地 東京都足立区
- キャンディーズ時代のニックネームは”スーちゃん”
足立区の釣具店の次女として生まれた田中好子さんは、子供の頃からガキ大将のような存在だったそうな。小学校の民謡発表会で「ソーラン節」を披露したのが、ステージへの一歩でした。
13歳の時に東京音楽学院に入学し、スクールメイツとして活動します。スクールメイツといえば、アイドル歌手のバックで踊っているグループですが、その中に田中好子さんもいたんですね!
その後、田中好子さんが16歳の時に、伊藤蘭さん、藤村美樹さんと共に「キャンディーズ」を結成します。結成直後は番組のマスコットガールとして活動し、歌手デビューはその翌年になります。
デビューしてから5曲目になる「年下の男の子」がヒットして、キャンディーズは売れっ子アイドルグループとなっていきます。ちなみにデビュー曲は「あなたに夢中」という曲です。編集長はずっと「年下の男の子」がデビュー曲だと思っていました。
キャンディーズは、数々のヒット曲を出しますが、1978年に解散。田中好子さんは一時芸能界を引退しています。
人気絶頂時だったキャンディーズの解散は、まだ子供だった編集長にとってもショックでした。あの3人で歌う姿が見れなくなると思うと悲しくなった記憶が蘇ります。
その後1980年に田中好子さんは芸能界に復帰。今度は歌手活動だけでなく女優業にも本格参入。さまざまなドラマや映画に出演し、のちには日本アカデミー賞・ブルーリボン賞など数々の主演女優賞に輝きました。
その頃には「元キャンディーズのスーちゃん」ではなく、1人の女優としか思えないくらいの存在感のある女性になっていました。そしてその歩みは、アイドルから名実ともに認められる名女優への見事な変身と言えるでしょう。
田中好子の旦那・小達一雄に隠し子がいたのは本当か?
20年の闘病生活をしていた田中好子さん。「乳がん」と診断されたのは田中好子さんと小達一雄さんが結婚してわずか1年後でした。闘病していたとは一切明かさず、本当に身内だけしか知らなかったそうです。
2011年5月に55歳という若さで亡くなったという報道にはとてもショックでした。「早すぎる死」には親交のあった芸能関係者にとっても衝撃だったのではないでしょうか。
その後すぐに週刊誌に報道された田中好子さんの旦那・小達一雄さんの『不倫と隠し子疑惑』。そんな見出しを目にしたとき、正直言って胸が締め付けられました。
報道によれば、2010年7月、成田空港で小達一雄さんが当時40代の女性と、その娘と思わしき当時小学校高学年の女の子を伴ってハワイへ旅立つ姿がキャッチされ、「パパ〜」と呼ぶ声まで記録されていたそうです。その頃から10年以上前に知り合い、親密になったという証言もあり、週刊誌のスクープには深い衝撃を受けざるを得ません。
さらに心を痛めたのは、田中好子さんの葬儀後、小達一雄さんの代わりに取材陣に対応した関係者が質問に対して「まさか…」と絶句したといわれています。言葉失うほどの事態が、家族の裏側で進行していたと思うと、無念さが込み上げます。
もちろん報道はあくまで「疑惑」であり、真相の全容はまだ見えていません。ただ、愛する人を失った直後にこうした憶測が飛び交う家族の苦しみを思うと、ただただやりきれない気持ちです。
小達一雄さんは2012年4月から『田中好子”いつも一緒だよ”基金』を設立し、東日本大震災の被災者遺族を支える温かな取り組みとして大きな賞賛を集めました。
田中好子さんから託された「社会への恩返しを実現しなければ」という言葉を胸に、小達一雄さんは「美子の顔を思う出しながら前に進む」とインタビューで語り、その誠意は誰の目にも本物に映ったはずです。
しかし同じ頃、小達一雄さんが田中好子さんと暮らしていたマンションを解約し、新たに都内の億ションを購入して新生活を始めていたという報道も流れました。不倫疑惑のハワイ報道で取り沙汰された女性とその子供が、すでにその新居で家族のように暮らしている、というような耳を疑う情報が飛び込み、心中は複雑を極めます。
支援の気持ちで立ち上げたはずの基金が、まさかこんなプライベートのゴタゴタと同時に語られるなんて・・・。家族を思う気持ちはみんな同じはずなのに、そのギャップには胸がキューンと締め付けられます。純粋な気持ちで始めた活動と、取り巻くあれこれの噂。新しいスタートを切ろうとしても、背後にはあまりにも大きな過去と向き合わなければならない現実があるようですね。
田中好子と旦那・小達一雄氏との出会いと結婚生活
田中好子さんと旦那・小達一雄さんの出会いは2000年の頃。小達一雄さんが衣装のことで携わったテレビや映画の現場で偶然交わされた言葉から始まりました。以来、公私を問わず相談相手として信頼を深め、公然とご実家を訪れるほどのオープンな交際が続いていたそうです。小達一雄さんは1985年に27歳で亡くなった女優・夏目雅子さんの実の兄です。田中好子さんと夏目雅子さんはドラマで共演して以来の親友なので、実家の方にも訪問しやすかったのでしょう。
小達一雄さんは2度の離婚を経験し、「離婚から1年も経たない再婚はみっともない」とあえてタイミングを図った末、前妻との別れからきっちり1年後に田中好子さんとの結婚を決意します。その慎重さには、大人のケジメと配慮が感じられますね。
また、田中好子さん自身も主演映画『黒い雨』でブルーリボン賞など数々の主演女優賞を受賞し、まさに女優として脂の乗った時期でした。スキャンダルを恐れた関係者からの助言もあって結婚に踏み切ったようです。お仕事が絶好調なときに、プライベートでも大きな一歩を踏み出した田中好子さんと小達一雄さんは、まるで心地良いリズムで新しい人生を歩き始めたようですね。
田中好子の旦那・小達一雄の子供との関係は?
3年の交際期間を経て幸せな結婚生活を始めた田中好子さんと小達一雄さんですが、その裏では辛い思いをしていた人がいることも現実です。
田中好子さんと小達一雄さんは、小達一雄さんにはまだ奥さんと小さな子供さんがいるときから親密な関係になっていました。そのことが週刊誌などに大きく報じられ、奥さんは幼い子供を連れて実家へと避難します。不倫報道で最も心を痛めたのは、まだ小さいお子さんだったはずです。大人の都合で家庭が揺れ動き、無垢な子供がかき回されるのはどれほど苦しかったことでしょうか。
田中好子さんの旦那・小達一雄さんと前妻の子供は楯真由子さんといい、子供の頃は子役でテレビドラマなどに出演していました。
「田中好子さんに父親を奪われた」と思っていた楯真由子さんが、初めて顔を合わすことになったのは、楯真由子さんが20歳のときに亡くなった、祖母の葬儀でした。その頃には父を奪った女性に対しての憎しみは消えていたようですが、相当な覚悟もあったようです。
楯真由子さんは、祖母・スエさんを慕っていて、当時流行っていたプリクラを祖母の部屋に貼っていましたが、数日後にはすべて剥がされていました。しかし、葬儀で田中好子さんは、
「おばあちゃんは、いつもあなたのことを考えていたのよ」
と、当時のプリクラや雑誌の切り抜きをキレイにまとめた分厚いファイルを楯真由子さんに手渡します。この出来事が、楯真由子さんにとって田中好子さんを「家族」として心から受け入れるきっかけになりました。
楯真由子さんが20歳で田中好子さんと初対面したとき、胸の内には複雑な思いがあったはずです。憎しみや戸惑いを乗り越え、自ら一歩を踏み出す勇気。家族にしか果たせない”大人の和解”の瞬間には、編集長も胸が熱くなりました。相手を許し、新たな絆を結ぶ強さこそ、本当の家族の愛なのではないかと思います。
田中好子の旦那・小達一雄には隠し子がいた?報道の裏にあった家族の絆・まとめ
支援の志から立ち上げた『いつも一緒だよ』基金も、報じられたプライベートの騒動と同時に語られることで、純粋な想いと家族への想いのギャップが痛々しく映ります。被災者遺族を支えたいという田中好子さんの想いにもあったような決意と、新たな家族との暮らしが交差する中で、小達一雄さんは想い過去と責任を負いながら歩みを進めているのでしょう。
田中好子さんと旦那・小達一雄さんのことを調べていくうちに、あれもこれも全部許していける田中好子さんの懐の大きさが、ひしひしと編集長の心の中に入っていきました。きっと多くのファンも、今では穏やかな気持ちで田中好子さんのことを思い出せるような気がします。
コメント