タレントとしてバラエティ番組で活躍している国生さゆりさん。
実は昔アイドルだったということは知らない人もいるかと思いますが、昔もとても活躍していました。
私生活では結婚、離婚、再婚など色々あったようですが、現在は結婚しているのでしょうか?
今回は、テレビでは見えないあなたの知らなかった国生さゆりさんの昔から現在、旦那のことについて書いています。
ぜひ最後まで読んでください!
国生さゆりは昔から可愛い!
国生さゆりのプロフィール
- 本名 國生さゆり
- 生年月日 1966年12月22日
- 年齢 58歳
- 出身地 鹿児島県鹿屋市
- 血液型 A型
国生さゆりさんのお父様が「吉永小百合」さんのファンだったことから「さゆり」と名付けられました。
中学時代は陸上部で、100メートルのベストタイムは12秒8。国生さゆりさんの運動神経の良さはこの頃からなんですね!
お父様が海上自衛官で転勤があったため、長崎県佐世保市→鹿児島県鹿屋市→広島県呉市と引越しをしています。国生さゆりさんは、どこの土地へ行っても持ち前の明るさで柔軟に過ごしていけたのでしょう。
国生さゆりの昔・芸能界デビューまでの道のり
国生さゆりさんは高校生の時に、友達から一緒に参加することを勧められミス・セブンティーンコンテストに応募しました。そこで中国地区代表に選ばれ、全国大会に出場します。その時は入賞しませんでしたが、大会終了後にCBSソニーの担当者から『新春オールスター大運動会』に出てくれないかと声をかけられ、出場します。
この時は、タレントとしてではなく国生さゆりさんが陸上短距離走のインターハイ選手だったため、ゼッケンを付けた会社をアピールしてもらう目的だったようでした。
『新春オールスター大運動会』はお正月に必ず見ていた番組ですね!
その後の国生さゆりさんは、資生堂での内定をもらっていたため、会社員として就職予定でした。
ミス・セブンティーンコンテストに出た時の国生さゆりさんが、よほど印象に残っていたのか、またCBSソニーの担当者から声がかかります。
担当者の方は番組に出てくれる女子高生を探していたのかもしれませんが、国生さゆりさんのことはとても気に入っていたんだろうと思います。
当時フジテレビで放送されていた『オールナイトフジ』の特番『オールナイトフジ女子高生スペシャル』に出演しますが、その番組内にあった”美少女コンテスト“で、何十人もの女子高生の中から選ばれ優勝します。ここから国生さゆりさんの運命が変わり始めます。
普通の素人の女の子ですが、皆さんオファーを受けてコンテストに出場したのでしょう。そこで選ばれた国生さゆりさんは、とてもラッキーだったと思います。
国生さゆりさんは内定していた就職先を断り、芸能界で活動するために単身で上京しました。
そしておニャン子クラブの会員番号8番として、芸能界デビューするのでした。
おニャン子クラブの最初のメンバーは皆、普通のどこにでもいるような女の子ばかりで、今までのアイドルを覆すような感じだったのを覚えています。そんな「普通の身近にいる女の子」という感じがウケた時代だったんですね。
国生さゆりさんもまた、垢抜けていないところが可愛らしく思えました。
国生さゆりの昔・おニャン子クラブ時代
おニャン子クラブの初期メンバーとしてデビューした国生さゆりさん。
おニャン子クラブは素人集団というイメージが強かったのですが、実際は子役から活動しているメンバーもいたようで、国生さゆりさんは引け目を感じることもあったでしょう。
国生さゆりさん自身は全くの素人で、九州の田舎から上京してきていましたが、負けん気が強いこともあって、他のメンバーに比べて仕事に対する熱量は誰よりも大きいものでした。
おニャン子クラブのデビュー曲『セーラー服を脱がさないで』は大ヒットを飛ばし、ブレイクしました。「会員番号◯番 ◯◯◯◯」という自己紹介がとても印象的でした。
メンバーの中でも新田恵利さんや河合その子さんが人気があって、ソロでもデビューしていました。
負けず嫌いの国生さゆりさんは、いや、国生さゆりさんでなくてもモヤモヤとした嫉妬心に似たような複雑な気持ちはあったでしょう。女の子の集団というと、影では何かと問題が起こりそうですよね。
そんな中でも国生さゆりさんは、おニャン子クラブのデビューの翌年、、『バレンタイン・キッス』でソロデビューを果たします。
その頃から国生さゆりさんに注目され始め、おニャン子クラブでの中心的存在になっていきます。
メンバーの中ではリーダー的存在で、みんなを引っ張っていっているように見えました。
プライベートではバイクの免許も取得していて、アイドルというよりはカッコいい女性タレントといった感じに見えますね。
国生さゆりの昔・おニャン子クラブを卒業してから
おニャン子クラブを卒業してからの国生さゆりさんは、映画『いとしのエリー』やドラマ『キスより簡単』で初主演を果たすなど、女優としての活動が増えましたが、変わらずに活躍されています。
また、おニャン子クラブといった女子高生集団の中でリーダー的存在かつ可愛かった国生さゆりさんは、素敵な大人の女性になっていった時期でもあります。
いつまでも子供っぽさ、アイドル感が抜けないタレントもいる中で、とても上手に大人へと変身していったように思いますね。
1995年には『ウッチャンナンチャンのウリナリ』にレギュラー出演するなど、バラエティ番組にも積極的に出ている様子も見受けられました。
本音を語って笑い飛ばす仕草は、私にはとても好感が持てました。男性より女性からの支持が多かったように思います。
国生さゆりの現在の旦那について
国生さゆりさんには現在、旦那さんはいません。2度結婚されていますが、いずれも離婚されています。お子さんもいません。
結婚運がなかったのでしょうか?バラエティで楽しそうに発言している姿を見ていると、お一人でも十分楽しそうに見えますね。
国生さゆりの結婚相手は初恋の人だった
国生さゆりさんは、2000年11月に初恋の相手で同級生の上前琢朗さんと結婚しました。上前琢朗さんは国生さゆりさんの地元・鹿児島県でマッサージ院を経営していました。
国生さゆりさんと上前琢朗さんは同窓会で再会し、交際に至り結婚したと言われています。
しかし、その結婚生活は長くは続きませんでした。
新婚生活は2人の地元・鹿児島でスタートしましたが、国生さゆりさんは2度の流産を経験します。
2人の間に子供が居れば、離婚へとは発展しなかったのかもしれませんが…
離婚の原因ははっきりとはわかりませんが、東京で仕事をする国生さゆりさんと、鹿児島で仕事をする上前琢朗さんのすれ違い生活になっていたからかもしれませんね。
国生さゆり・2度目の結婚は8歳年下
初恋の相手だった上前琢朗さんと離婚した国生さゆりさんですが、その6年後に再婚します。
お相手は8歳年下のコンサルタント会社社長の甲田英司さん。甲田英司さんは中学生時代から国生さゆりさんのファンだったそうです。
甲田英司さんは個人ベンチャー支援を行っているコンサルタント会社を経営している実業家で、バーやクラブなど数多くの店を支援しています。
とても頼りになるパートナーと再婚し、43歳にして幸せを掴んだ国生さゆりさんですが、翌年には離婚してしまいます。
お互いの仕事が忙しくて生活がすれ違い、心もすれ違っていったのだと言われています。
国生さゆりさん自身も仕事が大好きで、旦那様に合わせた生活を送ることができなかったのでしょうか。
旦那様の甲田英司さんも若かったこともあって、一緒にいる時間が少なくなったことに寂しさを感じていたのかもしれませんね。
国生さゆりの昔も可愛くて、現在は旦那もいなくておひとり様を満喫!
おニャン子クラブという、昭和を代表するようなグループで活躍していた国生さゆりさん。
2度の離婚を経験した今でも面影はそのままで美しい女性です。尖っていた昔よりも親しみやすく、国生さゆりさんらしい感じが共感できてとても素敵です!
同じ時代を歩んできた国生さゆりさん。これからも同じ世代の女性の気持ちを代弁してくれるようなカッコ良い女性でいてほしいと思います。
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