シュガー モーリの死因と最期。伝説のリーダーが遺したものとは

シュガー

「ウエディング・ベル」で鮮烈なデビューを飾った女性3人組コーラスグループ「シュガー」。そのリーダーであり、ベーシストとしてグループを支えた”モーリ”こと毛利公子さんは、今もなお多くの人の記憶に残る存在です。

この記事では、明るく自由なキャラクターで愛されたモーリさんの人生にスポットを当て、学生時代の素顔から、突然の別れ、そして彼女が遺した”音楽と想い”までを丁寧に振り返っていきます。

シュガーのモーリは明るくて情熱的だった

1981年、テレビの前に突如現れた女性3人組コーラスグループ「シュガー」。デビュー曲「ウエディング・ベル」は辛辣な歌詞と美しいコーラスが大きな話題を呼び、一世を風靡しました。その中にいたのが、ベーシストでありリーダーのモーリこと毛利公子さんです。

神奈川県出身、1960年9月29日生まれ。控えめなかわいさと確かな音楽の実力を併せ持つモーリさんは、ステージでは凛とした存在感を放っていました。でも、本当にすごいのはモーリさんの中身だったのかもしれません。

シュガーのモーリ・学生時代から際立っていたリーダー気質

モーリさんは高校時代、神奈川県鶴見高校の軽音楽部「S.O.S」でバンド活動をしていました。当時から、「自分は絶対プロになる」と決めていたそうです。

実際、後輩だった料理研究家の重野佐和子さんは、モーリとの出会いを「まるで別格の人に出会ったようだった」と語ります。バンドに誘うときの第一声が「プロになる気ある?」というのも、モーリさんの本気度が伝わってくるエピソードですよね。

 

高校生にして人生観も恋愛観も完成していた、と語られるほど。

ただかわいいだけじゃない、芯のある”音楽人”だったんだと思います。

シュガー・「ウエディング・ベル」の成功と影の努力

シュガーがデビューしたのは1981年。「ウエディング・ベル」でいきなり大ヒット。

「くたばっちまえ!アーメン」

この楽曲のインパクトに負けないくらい、3人のキャラクターも濃くて、テレビ番組では少し下ネタを交えるお茶目なトークが印象的でした。

そんな中でもモーリさんはグループのまとめ役として努力を惜しまず、時に厳しく、時に優しく、みんなを引っ張っていたそうです。

シュガー解散、そして再結成への想い

1987年、シュガーは惜しまれながらも解散します。理由は「音楽性の違い」とされており、3人ともそれぞれの道を歩み始めました。

モーリさんはタレント活動をスタート。ラジオのリポーターやテレビ番組に出演し、その明るくて知的なキャラクターで活躍していました。そして1988年6月、一般会社員の男性と結婚。幸せな新生活が始まりました。

実は、モーリさんは再結成を強く望んでいたそうです。「また3人でやろうね」と語っていたという話には、涙が出そうになりますよね。

シュガーのモーリ・愛と幸せの中で訪れた突然の別れ

そして1990年4月6日。親友のクミさんとランチを楽しんだあと、モーリさんは「陣痛がきた」と病院へ向かいます。ところが診察の結果、赤ちゃんの心音が確認できず、死産が告げられました。

その夜、深夜2時ごろモーリさんの付き添いで病室にいた妹が、モーリさんの呼吸がないことに気づき、急遽別の病院へ搬送されましたが、そのまま帰らぬ人に。海外出張中だったモーリさんの旦那は、一度に妻も子供も失ってしまうことに。悲しみは大きかったでしょう。

享年29歳。人生の中で最も輝くはずだったその瞬間に、あまりにも早く突然の別れが訪れてしまいました。

あの夜、何が起きたのか…医師ですら死因を特定できなかったと言われています。

 

シュガーのモーリが福井県に眠る理由

モーリさんのお墓は福井県にあり、今も母子が静かに眠っています。神奈川県出身のモーリさんがなぜ福井県に?という理由は定かではありませんが、先祖代々のお墓がそこにあったのかもしれませんね。

生前、モーリさんは「シュガーはただのアイドルじゃない。私たちは音楽で人の心を動かしたい」と話していたそうです。その言葉の通り、モーリさんの歌声、演奏、笑顔は今も多くの人の胸に残り続けています。

29年という短い生涯でしたが、その濃さは誰よりも深く、強く、優しかったのだと思います。

まとめ・モーリの人生は短くても、音楽と心は生き続ける

あの日、「また3人で歌おうね」と語っていたモーリさん。その夢は叶いませんでしたが、彼女の存在があったからこそ、シュガーは今でも”伝説”として語られているのです。

あの甘くも芯のある歌声。静かだけど強い視線。モーリさんの音楽と人柄は、これからも色褪せることなく、私たちの心に響き続けるでしょう。

 

 

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